旧観念

今まで何の疑問も持たず、むしろ「正」として捉えられていたものばかりが旧観念として挙がる。

改めて考えてみると、その中にうずもれて生活しいることを再認識させられる。

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(苦しい)現実を否定し、言わば理想像として登場したのが旧観念

きれいなはずの言葉が多い「旧観念」の問題点は
・現実を直視せず誤魔化している
・何をも実現できていない
ということにあるという。

自由でない現状があるから自由を求める。
でもその原因の追究や、答えを導くところまでは及べていない。
確かに、自由や平等を声高に叫んではいるが叶ってはいない。

苦しい時にその救世主や理想像を浮かべることを明日への希望とする。
そうやって旧観念は、現代日本に住む私達の想像を絶する苦しみから心だけを救ってきたのだろう。

だからこそ、旧観念は現代まで脈々と息づいているのだ。
でも現代は直面した現実に答えを求める時代に来ている。

旧観念では救われない。
旧観念、ご苦労様」という時期にきているのかもしれない。

では、当然の如く「旧観念」がこってりとこびりついた頭で答えを考えるには・・・。
どうやったら旧観念を拭いさり答えを導く思考に到れるようになるのか・・・。

その答えのひとつに同化・注視があるように思う。
「自分は~思う」を一旦リセットして、あるがままを見ること。
*「自分は~と思う」は旧観念である可能性が高い。

旧観念で個人の考えを持つことに力を注いできた人にとってそれは、一見難しいことのように思えるかもしれない。

好きでなくても、嫌いであっても。
丸いものを見て「丸いななぁ」と思うように周りを見てみようか。

明日からではなく今日から早速。


匿名希望