>この、作者→(出版)→観客読者という在り様(よう)から、認識仲間の(サイトでの)協働という在り様への移行こそ、私権時代の認識形成と新時代(共認時代)の認識形成との決定的な違いである。

庶民の社会不全や答え欠乏を需要とした、専門家による本の供給が増えてきた。しかし結局は、専門家や著者はそれを飯のタネとしている以上は、その特権階級を否定するようなことは書かない。

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全ての社会問題や不全は、私権原理のフレームの中にいる限り絶えず自己矛盾と向き合うことになる。その自己矛盾を指摘せずに、目先の解決(?)方法を撒き散らす専門家に何を期待できよう。悪いことに、その専門家の意見を鵜呑みにしちゃうし。

我々は現状の制度や体制を、私権観念や専門家の意見までをも含めて常識であり、当たり前だと感じている。全て西洋思想で明治以降に導入させられた体制であり観念でしかないのに。

こんな固定観念はすでに時代遅れもいいとこ。それこそ西洋の植民地思想そのもの。(だからこそ、多くの人は捨てちゃってるけど)
既に時代は大きく変わり、共認原理に移行しているのだからそれにフィットする観念をつくらないと社会不全は蓄積される一方。

これまでは、外からの圧力に対応するように観念を形成してきた。これからは、自ら圧力源を作り出す全く位相の異なる時代に突入する。だからこそ、皆の実感や潜在思念の結集が不可欠になる。認識形成サイトに皆の協同が求められる所以はそこにある。


孫市