>【常識】とは、どのようにして作られるのだろうか?

大雑把ではありますが、過去5000年の間、次のような展開があったのではないかと考えました。

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市場の発展は、幻想を抱かせることが多くの利益を生み出すという現象を生じた。結果として、より多くの利益を得た者と、騙されて利益を失った者が出た。利益を失った者は、今度は自分も騙す側に回りループしはじめる。

いつしか騙すことは、現実の苦労を忘れさせてくれる快感をともなう楽しいことだという共認が形成され、文化となったのである。
(ギャンブルにそれは顕著に現れている。)

つまり、演出が本質より追求されはじめた。かくして演出の文化が私たちをとりまくようになった。市場をはじめマスコミや芸能・学者等により、激しく展開された。彼らは生産に従事しない。働かなくても食っていけるとともに高い評価も得られる。この特異な現象は、みんなの憧れの対象となった。

演出の文化とは、つまり嘘の文化である。常識とは演出の文化の共認である。つまり嘘の文化の共認である。

ところが、今、誰もが食っていける世の中となり、私権は衰退し、演出が逆におかしいと思われはじめた。現実(本質)を追求することが大切だという共認(本源潮流)がはじまったのである。

それまでしてきた演出をしないことは、不安ではあるが身軽であり、圧倒的な現実がありのままに、生のままに受けとめられ、リアルな実感と活力のある世界だと思う。その潮流に従いたい。




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