この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。
おそらく彼らは、市場拡大は自分たちの特権を維持するためではなく、国際戦争に打ち勝つために不可欠だったのだと主張するだろう。
しかし、それは本当か?
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。

この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。
これは、次のように云い換えることもできる。生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。それに、物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない。

このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。

彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。




岡田淳三郎
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