「自主管理への招待」には、重要な認識がたくさん詰まっているが、その中でもひときわ心に迫ってくるのは「主体(自己)=対象」という認識だと思う。

> 私たちは、こう考える。もし私たちの求めるものが、本当に現実性を持ったものであるなら、それを実現しうる対象的な構造がすでに現存のこの社会の内に実在しているはずだと。
> 人は、対象とイコールに結ばれた主体としてのみ存在するのであって、決して自分だけで生きているのではなく、まして観念だけで生きているのではない。従って、欲望や願望が実現されるためには、それらとイコールに結ばれるそれらの対象が、同時に存在していなければならない。
> 打ち消し難い課題を自らの内に孕んだ主体は、その実現対象をこの社会構造の中に見出し得るはずである。
211502

私権時代を通じて、主体(自分自身)と対象(現実社会)は分断され続けてきた。
また、近現代においては、主体の「意識」と「存在」は断絶されたままだった(近代思想)。
現代でも「日々の労働」と「生きる」ことが統合されない、意識の混濁は至る所に見られるだろう。

「自主管理への招待」の文には、確かな時代認識とともに、そうした否定や断絶の歴史を超えて、「主体(自己)=対象」の地平を獲得(再生)してゆく意志、その充足可能性の予感、そしてそこへ全身を懸けてゆく意志が充満している。
こうした、充足可能性へ向けた実現思考こそ、我々が学び同化すべきところだと思う。




岩井裕介

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