>普遍構造として、圧力が衰弱すると(自我の発現可能性が広がるので)自我が肥大する。しかし、私権の衰弱⇒充足基調の共認圧力は上昇しているはず。なんで自我を封鎖できないのか?
>⇒私権制度が残っているからではないか。
私権や一対家庭は絶対不可侵」を前提に現在の法制度は作られている。その上、私権を抑制する力である私権圧力はとことん衰弱している。常にスキあらば私益をと狙っている自我私権派にとって、私権制度はそのままで圧力だけ低下したこの状況は至る所スキだらけであり、私権派は好きなだけ私権を手にいれることができる。これが、この十年の小泉一派をはじめとする私権・反動派の暴走の構造である。極めて危険な構造だが、私権絶対の法制度が変わらない限り、暴走は続く。
以上、リンクより。

仲間非充足⇒否定の自我収束⇒それを正当化するため(共認原理に対立する)力の原理に立脚した少数派私権・反動勢力は、己を正当化する観念で観念武装する。
この正当化観念は旧観念私権観念(自由・平等・権利・個人etc...)そのものであるが、現在は私権制度が残存している為、(旧観念の欺瞞性を暴く新観念群を持たない限り)これらの正当化観念・私権観念に対して、反論することは極めて困難である。

ex.ホリエモンは「お金で買えないものはない」、村上世彰は「お金を稼ぐのは悪いことですか!?」とマスコミを通してのたまったが、当時これに論理的に反論できた識者も素人も全くいなかった。

それゆえに、どれだけ共認収束・充足基調の大潮流が顕在化しても、制度が私権制度である限り、人々の共認圧力で、反動勢力(自我肥大)を封鎖することは不可能である。
一方で、社会の共認収束・充足基調の大潮流が顕在化すればするほど、反動勢力の「仲間非充足」は更に強まり、益々否定の自我収束→自我肥大が進む。そうなれば、暴走する社会が悪化するのは自明の理である。
共認収束・充足基調の大潮流は、次代=共認社会の可能性を開く、確かな可能性であるが、一方でその潮流が私権反動勢力をのさばらせ、社会を暴走→更なる閉塞へと陥れていくと言う、なんとも皮肉な状況となっている。

この状況を突破し、共認収束・充足基調の可能性を開いていく為にも、人々の意識と根本的にずれた(私権)制度の転換が急がれる。
採取次代、現在と同じように生存圧力が低下したが、私権制度など存在しなかった為、集団の共認(規範)圧力で自我肥大は完全に封鎖されてきた。
私権制度から共認原理に基づいた制度へと転換すれば、自我の完全封鎖は可能である。

その為には、旧観念私権観念を全的に否定する新観念を広げていくことが必要不可欠であり、そういう意味でも「新理論収束」の萌芽を探っていくことが今後益々重要になると感じた。



西谷文宏
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