内閣府や省庁のなかで大臣と官僚のいずれが力を握っているのか。

イギリスの大臣と官僚の関係は、1980年代のサッチャー政権が出現する前と後では大きく違う。サッチャー以前の官僚、とりわけ1950年代、60年代の頃の官僚は、非常に大きな力をもっていた。当時、大臣には秘密がなく、大臣の電話は秘書に聞かれていた。しかも、官僚は大臣に対する忠誠心はなく、忠誠心をもっているのは、同僚の官僚機構に対してだけである。そのため、大臣に関連する情報は、すぐに官僚集団に伝わった。さらに、官僚は、大臣に対して、選択の幅が非常にせまい助言しか提供しない。実質的には官僚が大臣を操作していた。

「官僚は、自分たちが国を動かしていると本当に信じ、大臣を自分たちに合う型にはめこんできたという点に注意しなければならない」。これがサッチャー政権の最初の認識であり、官僚機構の改革に取り組んでいった。とりかかりは、官僚の人事への介入であった。それまでの大臣たちは、官僚の人事は官僚に任せてきた。が、サッチャー首相は、人事院を内閣府の中にとりこみ、自身が人事の承認権を発動した。伝統的なエリート官僚ではなく、経営感覚をもった官僚、すなわち政府の政策を効果的・効率的に実施できる官僚に変えようとしたのだ。官僚の任用は確実に政治的に行なわれるようになっていった。

次のメジャー政権では、官僚の幹部ポストの人事は、公開の競争で行なうようになった。順次、部長、局長、次官に昇進していくというのではなく、それぞれのポストに空きが出ると、その該当者を公募で選定するようにしたのである。また、民間人の特別アドバイザーが省庁の職員になるということも、一般に見られるようになった。

こうした官僚人事の「政治化」のなかで、大臣が官僚の助言を受けて意思決定をするという伝統的な関係は次第に姿を消すようになった。大臣は政策決定に関しては、総じて官僚の助言を聞くということはあまりなくなった。それよりも各省庁の閣僚をはじめとする大臣・副大臣たちが特別アドバイザーの意見を聞いて議論をし、自分たちで意思決定するということが多くなった。1990年代には、官僚は、決定された事柄を整理し実行する存在に、言い換えれば、意思決定という政治の分野から外され、政策を実施するという行政の分野に限定されるようになった。

ブレア政権下では、閣僚は2人の特別アドバイザーを任命することができるようになっている。このため各省の総計で約80人のアドバイザーがおり、これらは純粋の政治任用であり、政権が変われば任期が終了する。任命者の考え方にマッチした人々がアドバイザーになるわけである。


参考図書:竹下譲「イギリスの政治行政システム~サッチャー、メジャー、ブレア政権の行財政改革」




阿部佳容子
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