『潮流5:失われた40年』(213681
 この投稿での、大きな気づきは、表題の『国家市場しか存在しない』という箇所です。
>本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。(213681

 そして、このイデオロギーを、われわれ大衆は、学校教育、マスコミを通じて刷り込まされてきたのだと思いました。
 考えてみれば、国家によって支えられた市場=国家市場は当たり前だと思うのですが、この投稿を読むまでは、気づけませんでした。高校時代に自由市場の素晴らしさを教科書から教え込まれた私にとって、国家市場とは、自由市場に敵対する社会主義国家を示しているように捉えていたように思います。改めて考えてみると、アダムスミスの市場経済において各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体の利益が達成されるとする考え方なんて、まさに彼らにとって都合のいいイデオロギーそのものです。
 一方で、国家市場を前提と考えれば、次代の社会の在り方、進むべき方向性が見えてきます。

>この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。
>彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。 (213681

 まさにそうだと思います。
 もはや、日本経済を(国内の物的需要が無いからといって)一握りの大企業(輸出産業)に委ねた産業構造=グローバル化では可能性有りません。今まさに、『現実には国家に支えられた市場しか存在しない』という認識こそが、次代の可能性基盤を示しているのだと思いました。

(参考;31251
>要するに、市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。カビがどんどん繁殖すれば、やがてカビ同士がくっつく。世間では、それをグローバル化などと美化して、そこに何か新しい可能性があるかのように喧伝しているが、それも真っ赤な嘘であって、市場が国家の養分を吸い尽くせば、市場も国家も共倒れになるだけである。国債の暴落をはじめ、その可能性は充分にあると見るべきだろう。





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