私権時代に求められた能力と共認時代に求められる能力」というテーマで考察を進める中で、私権時代の力の特徴として、成長過程で形成される本能的能力と異なり、私権時代の力は成長過程によって身に付けたものではなく、生前から予め付与されているものである事が指摘された。
すなわち、武力(身分や家来)や資本力(金)等の私権時代の制覇力は、相続によって、そのまま息子に継承されているのである。
末代固定の身分制度の根幹は、相続される力にある。
ところで教科書では「近代は、封建時代の身分支配から解放され、自由になった」と、公然と謳われている。しかし、事実をつぶさに見れば、それは嘘であることがわかる。

すなわち、封建時代といえども100年単位で見れば、常に政権交代は存在し、旧王朝の力によって保証されていた身分などは政権交代が起これば直ちに消滅してしまうこと(つまり事実として末代固定ではないこと)。
そして何よりも、近代以降も身分制度を形成する、力のヒエラルキーの礎である、資産の相続は完全に認められており、この財宝や金は、王朝や政権が変わろうとも、継承され続けること。そして、現にヨーロッパ貴族は数百年に亘ってその資産を継承し、現在でも公然、隠然たる力を持って世界を差配していること。また日本においても2世議員が多数を占める事態が象徴するように、現在も「力」は継承されていること(確かに相続税という制度は存在するが、これをほとんど無効化してしまう「抜け道」はいくらでも存在する。)

つまり、この「力の相続」は近代以降も現に行われており、身分制度から解放されたというのは、ほとんど嘘であることが指摘できるのである。(もしくは近代とは、新参者が認められやすくなった分だけ、多少は緩和されたという、封建時代に比してせいぜい少しマシになったという程度の問題にしか過ぎないことが指摘できる。)
つまり、教科書の記述は、単に近代社会を美化するためのみに学者を動員して記述させた文字通りの「欺瞞観念」に過ぎないのである。



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