■日本人に可能性はあるのか?

・ひたすらアメリカの言いなりになるだけの政治家、官僚=特権階級
・彼ら特権階級の手足となり、偏向報道を続けるだけのマスコミ
・そのマスコミ報道→「作られた世論」に、右往左往する庶民
今の日本は、世界各国の後塵を拝し、嵐に漂う枯葉のような存在となりつつある。

しかし、一方では、暴走する特権階級(政治家、官僚、検察、マスコミ)を冷ややかに(自分には関係ないと)見ている庶民も多い。

■なぜ、大衆と特権階級の断層が広がるのか?

   私権空間の空洞化 → 特権階級の暴走
   ↑               ↓
私権の衰弱            大衆と特権階級の断絶
   ↓               ↑
   豊かさ期待の消滅→収束不全⇒共認収束


1970年に豊かさが実現されるまでは、人々は貧困の圧力に晒され、飢えから逃れる為に必死になって働いた。この社会では、私権(お金や、お金を得るための身分)が共認されている(皆に認められている)ため、社会の全ての物財は私有の対象となり、私権を確保しなければ生きていけない。つまり、貧困の圧力の下では、私権獲得が第一義課題であり、活力源であった。この社会では、豊かさ期待という社会共認の中に、全成員が包摂されており、支配層も大衆も豊かさ期待と言う意思において一体であり、両者は繋がっていた。

しかし、1970年に工業生産の発展によって豊かさが実現されると、私権獲得はもはや第一義課題ではなくなり、人々はその為に必死に働こうとはしなくなる。私権獲得と言うそれまでの活力源を喪失し、若者は先行して「相手に喜んで欲しい」「みんなの役に立ちたい」という思いを強め、期待に応えて得られる共認充足を、新たな活力源とし始めている。

豊かさが実現されると、豊かさ期待は薄れて行き、無意識の深い地平で私益追求から離脱して共認充足に移行してゆく大衆と、あくまで私権追求・市場拡大を志向する特権階級の間に断層が生まれ、どんどん拡大していった。この断層は、1990年のバブル崩壊で大衆の私権追求意欲が急速に衰弱して行ったことにより、断絶し始めた。

いまや自らの私権=特権にしがみついているのは特権階級だけであり、共認収束を強める庶民との断層は広がる一方である。
そして、新しい活力源は、私権獲得ではなく共認充足にしかない。その意味で、世界でも最先端を進んでいるのは日本のように思える。日本に可能性はあるのか?





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