大衆が、メディアそのものやジャーナリストというひとたちを胡散臭く感じるのは、彼らが、本来の役割である「事実を伝える」というスタイルを借りながら、発信される中身は「自分の意見」や「自分の感想」、「自分の見解」そのものである、というところだと思う。

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橋本:私は批評は要らないんです。ちゃんと紹介してくれれば。
   ちゃんとした紹介が最大の批評だた思ってるんです。いまは紹介の
   仕方が下手。私がこう読みましたというのが紹介になっているけれ
   ども、それじゃ感想文じゃん、帯に書いてあることを、ちょっと転
   載してみたり。「これはこういう本だから読むべきです」というの
   が、ちゃんとした紹介文なんです。紹介文が書けなくなっているん
   ですよね。紹介文でさえ、感想文になってしまっているということ
   が最大の問題だと思う。
   紹介というのは、それこそパブリックな仕事じゃないですか、でも
   そうすると「自分の責任はどこにあるんだろう」になって、百字ぐ
   らいの紹介文でさえも責任のとりようがないから、自分の感想文に
   して「自分が責任をとりました」みたいにしたいんですよ。

内田:ふーん・・・なんかちょっと耳が痛いな(笑)書いた者としては。

橋本:「主観を出せば一人前っぽいから主観を出す」というのが当たり前
   のスタイルになっちゃった。主観を消すというテクニックがもうわ
   からないんですね。
   (中略)
   文芸批評の最大の根本はさっきの話じゃないですけれども、あらす
   じを書くことなんです。この小説がどういう小説だったかというあ
   らすじがきちんと書けたら一人前なんですよね。

内田:なるほど・・。

橋本:あらすじ、書けないんだもの皆。

「橋本治と内田樹」
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例えば書物。読んでいないひとでも内容がわかるように、端的にあらすじを伝えることは案外アタマを使う。なんといっても、書物を丹念に読み込む必要があるから、手間ヒマがかかる。本来、メディア=媒体の真価は、そこにあるのだと思う。

一方、感想文になると、「わたし的には・・」という但し書き付になるので、「垂れ流し」が前提になる。それが主流になり、メディア=媒体も、受け手も激しく劣化が進んでいたと思う。

しかし、最近は、例えば、ラジオを聴いていて、いとも簡単にアナウンサーが事件の善悪を断じていたりすると、ビクッとすることがある。これだけおかしな事件・現象が起こると、普通の人間でも、その程度の感度は身に付いてくる。

>その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのためにメディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。(239183)

大衆が「おかしい」と気づき始め、メディアの瓦解が始まった。





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