実現論の斉唱会に参加し始めてからはや3ヶ月。日々の現実課題の中で変化を実感してきました。
 
 その変化とは、「潜在思念に素直に発信出来る様になってきた」という事です。

 元々現実課題の中で不全や可能性を発信する事は比較的得意でした。
しかし、期限圧力や(残存する)序列圧力に負けて、モヤモヤに蓋をする事も少なからずあり、その際、「時間もないしなあ」、「どうせ言ってもなあ」、「言うと自分の課題が増えるなあ」等、自分自身の中で正当化していました。
 また、仮に発信したとしても、頭で色々考えてから発信する為、タイミングを逸してしまう。という事も。

 しかし最近は、様々な現実課題に対して潜在的に感じる「おかしい」、「こうした方がもっと良くなるのでは?」という不全や可能性を、自分のフィルター(観念)を通すことなく発信する事が出来る様になって来ました。
 結果、以前に比べて、より仕事の中で充足感が得られる様になりつつあります。

 さて、このように変化する事が出来た要因を斉唱会の中に見出すと、
例えば
・斉唱会での充足体験から、自身が充足に貪欲になった。
⇒共認回路の再生
・一緒に仕事をしている仲間も斉唱会に参加しているので、充足の場が確立されつつある。
⇒充足空間の確立
等いくつか思いつくのですが、加えて最近強く感じるのが、「実現論」というテキストの重要性です。

 というのも「実現論」は「事実」を基にした文章なので、文章を解釈する必要がありません。「ああ、そういう事なんだ」と感じるだけです。その実現論を毎日斉唱していると、斉唱会以外の場でも聞こえてきた言葉がスッと自身の体の中に入ってくる感覚が生じます。
 この感覚を言葉化すると、旧い観念が洗い流され、「現実直視⇒どうする?」という真っ当な思考方法が再生されつつあるという感じです。
 また、斉唱会参加以前は、不全や可能性を文章化する事に対して苦手意識が無かったのですが、最近では感じた事に対して、話し言葉になっても文章にまでなりにくい事が増えています。
 この現象も、以前は旧観念に染め上げられた自身の頭の先っぽで現象を理解して、自分の都合の良い様に文章化するという「観念発の文章」だったのが、現実直視⇒潜在思念発で捉えた「潜在思念発の文章」に転換しつつある事を示している現象ではないでしょうか。今までやってこなかった思考方法だから文章が書けなくなっても当然です。
 そう考えると、今までは、「るいネット」で学んだ新観念も自身の旧い観念に取り込まれ、自身の中で価値観念化してしまっていた恐れさえ生じてきます。もったいなかった。

 「構造認識」という言葉に出会って早5年。ようやく、事実認識を真っ当に学び、使う事の出来る地平に立ったのではないか?というのが最近の実感です。
 「旧観念無用」。分かっていてもなかなか出来ないこの一言ですが、頭にこびりついた旧観念を洗い流してくれるのが実現論の斉唱なのではないかと可能性を感じています。





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