脳学者・茂木健一郎氏がツイッター上で「私塾」をスタートしました(参照:同趣意書:リンク)。毎月一回テーマを決めてツイッター上で議論していくもので、オフ会も含めた今後の運営についても議論していくようです。これは面白そう☆

そんな「私塾」開設に至るまでの想いを氏はブログ上にまとめています。以下、クオリア日記(リンク)からの引用です。

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私塾(1)吉田松陰の松下村塾は、わずか3年しか存在しなかったが、高杉晋作など、多くの維新の志士を生み出した。これからの日本、世界に新時代をもたらすのは、「私塾」であろう。

私塾(2)「大学」は、規模が大きすぎるのが欠点である。何か変えるにも、時間がかかって仕方がない。規模が大きいからこそ、ブランドとなり、学歴信仰を呼ぶ。私塾は小さいから、実質において勝負するしかない。塾長の資質を慕う人が集まり、切磋琢磨する。

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私塾(3)緒方洪庵の「適塾」で、福澤諭吉は猛勉強した。病気になり、寝ようと枕を探したが、枕がない。その時になり、はじめて適塾に来て以来勉強しては仮眠し、目覚めてはまた猛勉強というありさまで、枕を使って寝たことがないことに気付いた。

私塾(4)「私塾」を始めるのに、何も要らない。喫茶店でも、自分の4畳半の部屋でもよい。補助金も、認可も要らない。ただ、「始めるよ」と言って、同志が集まればいい。その上で、切磋琢磨する。必死になって猛勉強する。そんな私塾があちらこちらにできれば、日本は変わる。

私塾(5)大学や、小中高も、本当は「私塾」の集まりだと考えると良い。大学のゼミは、ある種の「私塾」である。小学校の担任が、生徒を感化する。「学校名」を単位にものを考えるから良くない。一人のすぐれた教師の下に、生徒たちが集っているのだと考えれば良い。

私塾(6)私塾で何を学ぶか? これが現代の考えどころだろう。やはり古典ではないか。論語や史記を徹底的に素読する。それから、外国語。英語のハードな文献を、皆で解読する。『解体新書』の偉業を見ればわかるように、わかっていないものどうしてワイワイやったって、いいんだよ。

私塾(6)大げさに考えるから、なかなか私塾が始められない。軽く考えて、とっととやれば良いのである。日本中にぼこぼこと私塾ができて、雨後のタケノコのようになる。そんな風にならないかしら。

私塾(7)夏目漱石の「木曜会」のように、ただ集まって雑談する、座談するというのでもよい。仲間たちの会話における丁々発止。ケンブリッジの「ハイテーブル」にも、日本的な展開や受容があっていいはずだ。

私塾(8)学ぶ側からすれば、「私塾」選びはブランドではなく、教師を見る直観に基づく。この先生は、何かを持っていそうだ。そんな直観が働いたら、黙って入門すればよい。それで、私塾どうしで大競争すればよい。少数の「有名大学」だけじゃ、寡占で真の競争にならぬ。

私塾(9)本居宣長は医者を生業とするかたわら、源氏物語について講義した。集まった松阪の商人たちは、「いままで様々な道楽をしましたが、学問ほどの道楽はありませんな!」と感嘆したという。日本人が学問を最高の道楽と感じるような、そんな私塾運動を起こそうではないか、諸君!

以上、「私塾」に関する連続ツイートでした。
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どこでも「私塾」といえば、今年で8年目となる路上のなんでや露店(リンク)もその一つ。

なんでや露店でも、ここ最近の傾向として、
○露店での出会いからネットサロン勉強会(リンク)参加へと繋がる人が年々増えている(参照:リンク
○ネットサロン勉強会の常連メンバー有志が、新たにスカイプ勉強会など派生勉強会を立ち上げ(参照:リンク
など、活動の広がりを感じさせる現象が出始めています。

また、世間の勉強会を見ても、目先のビジネスや遊び色の強い従来型の集まりが低調な中、シブヤ大学(参照:リンク)、カタリバ(参照:リンク)といった勉強色の強い集まりは確実に人を集めているようです。

こうしてみると、どこでも「私塾」の流れは確実に始まっています。

茂木氏が言うように、「大げさに考えるから、なかなか私塾が始められない。軽く考えて、とっととやれば良いのである。」という発想のもと、気軽に「私塾」を始める人は今後も増えていくのではないでしょうか。

竹村誠一