エジプトを代表とする革命が世界中に伝播し、隣国の中国でも国家がネット規制を敷く事態を招いている。(リンク)日本でも、マスコミ・官僚・政治家などの特権階級の暴走によって社会の閉塞感は高まるものの、デモらしい活動さえ起こっていない。

これはいったいなぜなのか?

現在の私権社会(市場社会)は、掠奪闘争⇒武力闘争によって形成されている。(9234)エジプト革命などは欧米覇権闘争からの脱却(=体制転換)であり、反力を源泉とした武力闘争によって行われる。つまり私権革命によって、新たな私権社会が形成されるだけである。これは日本の旧社会運動と同じ位相であり、潜在思念ではもはや可能性を感じないので表立ったデモ活動は起こらない。

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ただし日本人は表立った活動はしていないが、深層ではここ十年で変化を遂げつつある。

>02年以降私権崩壊が決定的になると、仲間収束だけでは納まらず、課題収束を引き起こす。遊びどころではないという状況から仕事や勉強という課題に向かった。しかしそこでの課題収束とは不安発ではなく「役に立ちたい」「喜んでもらいたい」「評価が欲しい」といった充足発である。この充足発の課題収束はしばらく続き、現在の充足基調を生み出し、なんであれ充足したものが勝っていく時代に入ってきている。この充足基調によってそれまでの(私権時代の)代償充足である解脱充足、遊びといったものが、ほとんど姿を消し、仲間達と成果を生み出し充足するといった課題充足の地平に移行してきた。(240902

ここで実現への道筋を考えてみる。

何かを実現しようとすれば、充足イメージを膨らませ、実現するための壁の在り様=状況認識の把握が生命線となる。充足イメージは潜在思念が豊かな仲間とすり合わせれば膨らんでいくが、それだけでは漠然としていて実現出来ない。そこで状況認識の把握に入るが、複雑な状況を把握するためには観念が必要な地平となる。特に社会課題においては新たな観念がないので(私権観念では既存の枠を突破出来ないので)、充足イメージはアクセルとなるが状況を把握出来ないのでブレーキが踏まれる。これが日本人が大人しくしている水面下の現象である。

だがこの状況を突破していく可能性の萌芽はある。

新たな観念(認識)とは、事実を追求した人類の意識構造や社会構造をなどの事実体系である。この新たな認識は、既存の価値観(私権観念)に囚われずに素直に対象に同化しさえすれば、素人でも生み出すことができる。特に若者は「車なんていらない。」「お金儲けに魅力がない」など私権観念が完全に崩壊し、私権獲得に意味がないことさえ感じているまっさらな状態だ。さらに仲間達と様々な充足課題に取りくみ、お互いに充足を高めていっている。これは新たな認識をスポンジのように吸収⇒構築し、社会を変えていける大きな可能性の萌芽といえる。

三浦弘之