■関西人が節電するのは、なぜなのか?

関西でも、オフィスやコンビニでの節電が目立っている。全国展開している企業では、企業イメージの下落を防ぐため、節電している面も多いだろう。関西から関東への(周波数変換による)送電は、100万kwしかできないからだ。

また、庶民レベルでも、節電意識は高まっている。東北関東震災を受けて「自分達にも何が出来ることはないか?」と探索しているのだろう。
しかし、彼らにしても「関西から関東への送電には限界がある=関西での節電が、関東への電力供給には繋がらない」と知っても、節電への意識が縮小することはない。それは、福島原発問題→東電の計画停電が、余剰消費を抑制する意識を生み出しているからだ。

大きな電力消費を賄うためには、(何か起こればキケンだが)原子力発電は必要だという意識がみんなを支配してきた。つまり、言わば「必要悪」として原発は捉えられてきた。しかし、みんなの過剰(電力)消費を支えるために、キケンな原発が必要だと言うのなら、電力消費量を抑えて原発が必要でない社会を志向し始めたのではないか。

「必要か否か」という判断軸と共に、「何のために必要なのか」という価値軸が大きく転換し始めている。

そして、価値転換した庶民と、政府や官僚が打ち出す方向性とに、大きな断層が生まれることになる。


■政府・官僚と庶民との断層

私たちは、過剰な電力消費の上に、自分たちを取り巻く環境や生活が築きあげられていることを知ってはいた。福島原発問題によって、都市生活が危険な原発の上になりたってきたことを、現実として受け止め始めている。市場縮小を前提とした価値意識が芽生え始めたと言っていいだろう。

一方で、政府や官僚が言う「地震被害・原発被害」のほとんどは経済的損失であり、彼らの言う「復興」とは、今まで通りの市場拡大・景気維持ということになっている。だから、電力供給が滞れば景気回復が不可能になる、(安全性を高めた)原発は必要、という言説がまかり通ることになる。

人類がコントロールできない原子力を使用して、その原子力の上に成り立たせる「市場」や「景気」に何の意味があるのだろうか?

金融市場経済が2008年から崩壊過程から入ったことを見ても、また少子高齢化の進展を考えても、既に日本は「市場縮小を前提にして、どう生きていくか」を考え、動き始めなければならない時期に来ている。本来なら、政府・官僚が考えなければいけないこの問題を、庶民側に考え始める土壌ができたということだ。そして、原発に依存する電力問題を解決に導く実現基盤は、このみんなの意識潮流にこそ存在する。


内藤琢   にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ