私は、7月3日のなんでや劇場に参加しました。テーマは「『民主主義』『市民運動』という騙しとその犯罪性」でした。

このなんでや劇場に参加した理由は、「市民運動という騙し」に強く引かれたからです。

私自身、学生時代、全共闘の最末端期にセクトに属し、活動を続けていました。活動に入った切っ掛けは、純粋にこの世の中は金持ち(資本家)が支配する社会で、貧しき我々、一般大衆を、その支配から解放しなければならないという思いからでした。

そのためには、我々学生が先陣を切って、反権力闘争を行うことによって、大衆が決起し、社会体制を変革できると考えていました。

これは、議長が投稿で指摘されている『市民運動の活動家たちは、専ら大衆の意識の上昇に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。(253969)』そのものです。

しかし、その当時の闘争心は強く、闘争資金を得るために食費を切り詰め、官憲に見つからないように、深夜ステ貼りを行うなど、昼夜を問わず活動していました。また、デモでは官憲とぶつかり合うので、逮捕されることも覚悟していました。
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そのような強い闘争心が何故生まれたのかといえば、その当時の意識としては「腐った社会を変革する」ということによるものと考えていましたが、
これも、議長が指摘されているように「市民運動は、貧困の圧力→私権圧力が強いときにはそれなりに盛り上がり、私権圧力が衰弱するや否や衰退していったわけで、これは、市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていたという証である。」というように、いま考えてみると、その闘争心を支えていたのは、得られぬ私権の獲得に根ざしたものであったということがよく理解できます。

全共闘の最末期と先ほど書きましたが、私が活動しているときは、70年の貧困の消滅(豊かさの実現)が果たされたまさに、その時期で、デモや集会の参加者の人数は、1・2年の間に急速に減り、最終的にはほとんど活動家以外、一般学生市民を組織化できなくなりました。これも、「市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていた証」といえます。
私権欠乏が強ければ、その私権を得んがために立ち上がるが、いったん欠乏が満たされれば、それに甘んじて何もしようとしなくなる、まさに、70年から73年にかけて、このことが急速に起こりました。

結局、目指したことはことごとく実現できずに、私自身も、闘争心も萎え、結果日和ってしまいました。


今回、なんでや劇場に参加したことにより、学生時代の置き去りにしていた総括を、改めて考え直し、市民運動の欺瞞性をはっきり認識できました。これは私にとっての大きな成果です。

その大きな成果の上にたっての私の次の課題ですが、「私権社会から共認社会への大転換」に当たり、私自身は、この大転換に積極的に関わっていければと考えています。それは、私が若いときの目指した志を実現したいからです。

また、「私権社会から共認社会への大転換」の共認の輪を広めることは、この大転換を確実に果たすためには絶対不可欠の必要条件です。
私自身が、なんでや会議に積極的に参加していくことは当然として、共認の輪を広げるために、一人でも多くの参加を促すように、今後とも勤めていきます。




青山 秀雄