福島で生まれ育ち、二人の娘さんと末に小学生の息子さんをお持ちのお母さんのお話
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私は生まれてから福島で育ち、東日本大震災の時も、原発事故があった時も福島に住んでいました。
今年の夏に子どもと私の体調不良のため山梨に避難・移住をする事になりました。
これから移住までの経緯と移住後の変化を話させていただきます。

大震災の時、ライフラインは断絶しており、
食料や雑貨等の調達で、いつもは車で行くお店まで家族で歩いて行き、何時間も並んでの買い物でした。
そんな中、原発の事故の報道がありました。
私と子どもは異臭と息苦しさで、呼吸をするのがとても辛かったのを今でも覚えています。

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連日のテレビの報道で国や専門家の方達の
「心配はない」
「直ちに身体に与える影響はない」の言葉に、不安はあったものの真に受け、
地元の野菜や水道水を飲んでいました。

子どもは学校での外での活動は制限され、外で遊ぶこともできず、つらい毎日を送っていました。
それからは日々の生活に追われ、仕事も忙しかったため、
放射能や被爆に関してはあまり調べることもなく月日が流れ、
事故から1年後に福島健康管理調査の甲状腺エコー検査がありました。

結果が届き、対象だった子ども二人とも「A2、のう胞あり」の判定で、
「2年後の検査まで再検査の必要無し」
とてもショックでした。

画像もなければどういう状態なのかもわからない、ただの紙切れだけ
不信感でいっぱいでした。

そして今年に入り、「これから先何があるか分からない」と思い、
子どもを生命保険に加入させようとして、甲状腺エコーの検査結果を告知すると、
後日、「癌に関する特約は一切付加できない」との結果。
再審査をしてもらい加入は出来たものの、
「保険会社がそのような結果を出すという事はそれだけリスクが大きいと判断したからだ」と思い、
悩み、苦しみ、
そのことがきっかけとなり、放射能や被爆に対しての情報を集めるようになりました。

その後、甲状腺エコーをしてくれる病院が見つかり、検査をしてもらうと、
県民健康管理調査の検査対象外だった娘と私も、全員にのう胞があり、
半年ごとの検査を勧められました。

市や県がやっているホールボディカウンターは信用できず、NPOでの検査を受けました。
昨年秋には全員下限値以下だったのが、半年後の検査で子ども二人はセシウム137を検出。
私はどうしていいのか分からず、毎日隠れて泣いていました。

そしてその頃から、私は原因不明の空咳が出るようになり、
病院へ行くと「同じ症状の人がとても増えている」とのこと。
私は保養などで県外に出ると症状が治まっていたので、
「放射能の影響ではないでしょうか?」と尋ねると、
「そういう報告はきていないのでわからない」とのことでした。

小学生の息子は、足の裏の骨の痛みを訴えるようになり、
周りの方に聞くと、年齢を問わず大人も子供も足の裏の骨の痛みを訴えていた方が多かったのです。

そのような状態でも避難先で生活ができるか?
子どもが学校等に慣れるか?という不安が大きく、避難する決断ができずにいましたが、
ある方から「そんな事より命の方が大切でしょ」と言われ決断。
避難・移住先を探し始めました。

行政での受け入れは昨年末でほとんど打ち切りになっており、
受け入れの団体を頼るしか方法は見当たらず、
「東京より先」と思っていたので山梨に避難することに決まりました。

避難までの間私たち家族はみるみるうちに体調が悪くなり、
私は仕事で線量の高い地区を数カ月歩いていたため、空咳がひどくなり、
夜中に窒息しそうになったことも何度かありました。

そして足の裏の骨の痛みから始まり、腕、足の骨まで痛むようになり、
空気に触れる腕や足はチクチクと針を刺したような痛がゆさ、
1年以上続いていた喉のつまりと痰がからんでいる状態は次第に悪化していきました。

中略

移住後一週間は、
私も子どもも吐き気・頭痛・下痢・身体のだるさ、喉のつまりと痰がとてもひどく辛かったのですが、
それが二日に一度、三日に一度と間隔が延びていき、
息子の目の下のクマはだんだん薄くなっていくのが分かりました。

それから間もなく、東京の病院へ子どもと甲状腺の検査に行き、後日結果を聞いて驚きました。
全員福島での検査結果と全く違っていたのです。

そして息子の血尿も続いており、
「血液検査の結果も気になるので専門の病院で診てもらうように」との事で、移住先の病院で診てもらうと、
「自律神経が悪い」との診断。
しかし息子の症状や自分の体調不良を、どう考えても診断結果が腑に落ちず、
病院不信に陥り、病院に行くことをやめました。

移住も一カ月ほど過ぎると、子どもも私も体調はすっかりよくなり、
息子は元気に学校に通えるようになりました。

体調不良などはたまにあるものの、福島で起きていた異常な症状は全く無くなりました。
自分たちの体調が改善された時に初めて、
「恐ろしいところにいたんだ」と、放射能の怖さを思い知りました。

中略

一日でも早く高線量の地から、大人も子供も避難させてほしいと願います。

私も含め、避難された方の多くは「もっと早く避難していれば」と後悔の念にかられています。
「子どもを守りきることができなかった」と、
これ以上そのような思いになる方を増やしてほしくないのです。

国や東電には真実を明らかにして、
すべきことはしっかりと責任をとって欲しいと思っています。

そして私たちは震災での心の傷が癒えぬ間に、
放射能による二重三重の苦しみを負わされているという事をもっともっと知っていくべきだと思っています。
以上です、ありがとうございます。



S・M