武田邦彦のブログリンクより転載します。
-------------------------------------------------------
2011年3月11日、午後2時46分、岩手県沖で大地震が起きて、福島原発も停電し、配管に一部が破壊した。作業員は原発の中から全員が退避し、暗い中で必死の回復作業をしていた。

 

地震からおよそ45分後の3時30分に15メートルの津波がきて、5.7メートルの防潮堤を乗り越えて原発の海岸線まで到達した。津波自体は原子炉まで到達していないが、いろいろなところから水が原子炉まで行って、原子炉の建物が浸水した。

 

海水が入って原子炉が水没したので、地下の電源系がすべてダメになり、全電源を喪失した。原子炉の中では核物質がものすごい熱(崩壊熱)を出しているから、制御棒を入れて核反応を止めても、発熱は続いていた(通常時の約10分の1)。
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
この状態が続くと、原子炉は次のような状態になる。これは事前にわかっていることだった。
1)通常は循環水に浸っている燃料棒が、3時間後に頭部が露出し、水素の発生が盛んになる、
2)水素は継続的にでて、約20時間後に爆発する領域に入る、
3)4時間後には燃料棒は一番下まで露出し、温度が急激に上昇し始める、
4)6時間後には温度は2800℃付近になり、燃料が融けはじめ、それが原子炉容器(鉄だから1700℃で融ける)を突き破って下に落ち、いわゆるメルトダウンの状態になる。

 

つまり、午後3時42分に全電源を喪失し、停電が回復しそうにない状態になった時、発電所長ならびに幹部は次のことが分かっていた。

 

1)6時間後にメルトダウンする、
2)20時間後に爆発する、
3)建物の屋根が吹き飛び、大量の放射性物質が大気に出る、
4)その時、南風、北風、東風が吹いていた場合、地元住民が法令の制限をはるかに超える被曝をする。

 

しかし、発電所長も幹部も地元消防に連絡せず、したがって地元の人は避難ができなかった。つまり「原発と言う事故の起こる可能性のあるものを、社会が容認してくれるから運転ができている。だから万が一にも社会に迷惑をかけてはいけない。予想外のことが起きても付近住民が被曝するようなことを避けるのは我々の任務だ」という意識は原発の技術陣になかった。

 

そんな状態で原発を運転するのは技術者としては許されないことで、複数の新聞が「原発を再開しないなど無責任だ」と言っているが、「現に非常時が起きているのに、非常時に付近住民を被曝から救う手順も決まっていないで再開する方が無責任だ」と私には思われる。

 

日本の技術史から見ても、事故の時の対応が決められていない重要産業などはなかったと思うし、あってはいけないと私は考える。

 

繰り返しになるが、たとえば、読売新聞はその社説で、「原発再開反対は無責任だ」としているが、私は「事故の通報すら決めないで、原発再開を申請するのは企業倫理に反する」と思う。企業は「規則に定められているだけを守れば申請できる」のではなく、社会倫理を守る必要がある。そのためには、最低でも、「万が一、事故が起こった場合、どうする」ということを宣言する必要がある。

 

浜岡原発の再開手続きが始まろうとしているが、浜岡原発が事故を起こしたら、付近住民は被曝する。だから、通報をどの時点でするか、それは国家としても、地元との間でも決めておく必要があるのだ。

 

単に地震対策と活断層調査で、「事故は起こらないことになっている」という従来型の安全審査は無責任と私は思う。もちろんNHKのニュースでは「安全審査に欠けたところがある」などとの指摘や取材は一切ない。「政府の言う通り報道する」というのが籾井会長の方針だから、その通りやっているのだろう。
-------------------------------------------------------
以上です。



 
新聞会