福島原発事故後、原発廃絶の論調を広く語ってきた、小出裕章助教が、退官記念講演で、その無念さを語っている。

原発事故後、なりを潜めていた原発推進論者が、大手を振って活動を再開している。改めて、原発を巡る状況を確認した講演の記録です。

特集ワイド:原子力廃絶、子どもらのため 京大・小出裕章助教、最後の講義
【毎日新聞・大阪夕刊】 2015年03月04日
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以下引用・・・・

◇放射能は100万年続く災い 大人は福島の責任を取れ

原発の危険性を40年以上にわたって指摘してきた京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章助教(65)が今月末の定年退職を前に、2月27日、実験所内の自主講座で最終講義をした。豊富な知識と分かりやすい語り口から福島第1原発事故以降、全国での講演やラジオ番組へ引っ張りだこだった。講義のテーマは「原子力廃絶への道程(みちのり)」。福島事故を見詰め、自分の人生についての思いを真摯(しんし)に語った。【大島秀利】
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 ◇たまった汚染水、今や50万トン

小出さんは1974年に助手(現助教)として実験所に入所。原発に批判的な同僚と80年に「原子力安全問題ゼミ」を作り、「熊取の6人組」などと呼ばれた。

この日、全国から詰めかけた約140人を前に、福島原発の現状をこう切り出した。
「事故の収束なんてとんでもない。現場が見えず、溶け落ちた核燃料などの炉心は、いまだにどこにどのような状態で存在するのか分からない。人が近づくと即死するほどの放射能があるからです。こんなに過酷な事故は、発電所では、原発でしか起こらない」

膨大な「汚染水問題」は一般には2013年ごろから注目されたが、小出さんはその2年前の11年5月、ラジオ番組で地下に遮水壁を張り巡らせるよう主張していた。講義では、そこで働く作業員にも目を向けた。
「この4年間は、核燃料をこれ以上溶かさないようにしようとひたすら水をかけ続けた。水は当然、汚染水になり、50万トンもがタンクに詰められている。今や、敷地内は放射能の沼のような状態。そこで苦闘する7000人近くの労働者は、きちんとした仕事をしようとすれば、たくさん被ばくするので、タンクからの漏れの対応も難しい」

原発敷地外の放射能汚染はどんなものか。小出さんは、原子炉実験所で長年従事してきた放射性廃棄物の管理業務での経験を基に語った。

「政府が避難指示している地域は、到底人が住めない地域です。琵琶湖の面積の1・5倍にあたる約1000平方キロが無人地帯なのです」

さらに広大な地域の汚染の深刻さを説明するのに職場での規制について話した。
「放射性物質を取り扱える場所は、法律で放射線管理区域に限定されている。一般の人が立ち入れない場所であり、私だってここに入れば、水を飲んでも食事をしてもダメ。管理区域から出る時には、汚染検査が必要で、その基準値は1平方メートル当たり4万ベクレル。私はこの法律を守り、41年間、管理区域外に汚染したものを持ち出して人々を被ばくさせないように細心の注意を払ってきた」

ところが、その努力もむなしくなった。
「避難指示の区域よりもはるかに広い東北や関東の一部地域が放射線管理区域の基準以上の汚染レベルになった。これは、日本政府が示した事実であり、風評でも何でもない。そこに人々が普通に暮らしている」
最も強調したのは「この広大な土地に子どもたちが生きている」ことだった。

「残念ながら私には時間を戻す力はない。私がやりたいのはたったひとつ、これです」。子どもたちを被ばくから守る構図のイラストを示した=<左>、柚木ミサトさん画。

「子どもは放射線被ばくに大変敏感です。子どもには全く責任がない。大人は自分が被ばくしてでも子どもを守らなければならない。放射能汚染はなくならないので除染ではなく、実際は“移染”ですが、人が住んでいる現状では移染もしなければなりません」

大人の責任に関連して、70年前までの軍国主義国時代と今との共通点を指摘した。
「国民は戦争に協力し、神の国だから負けないと信じ込まされ、戦争を止めなかった。ごく普通の人々が、戦争に反対する人を非国民と責めた。戦後、多くの人は政府にだまされたと言い訳した。原発では、推進派が決して事故なんて起こさないと言った。いま、国民が推進派にだまされたとも言う。今後、原子力に対してどう向き合うか、私たちは未来の子どもたちから必ず問われる」

◇環境と仲間のおかげで闘えた

講義の最後、「間違った人生だったが、それでも恵まれた人生だった」と振り返った。
小出さんは東京都の私立開成高校出身。「間違った」というのは、「原子力開発に夢を抱き、命をかけるため」、原子核工学を学ぼうと1968年に東北大に進んだことを指す。大学院でも学んだが、反対派に回った。その理由も話した。

「原発は都会に建てずに危険性が過疎地に押し付けられ、事故が起きなくても放射性物質の毒は約100万年隔離が必要。それを子どもたちや未来に押しつける。原子力を選択する限り、核兵器と縁が切れなくなる。原子力は差別と平和の問題に関わっている」
だが、「自分の愚かさに落とし前をつけるため」原子力の専門の場に残った。

「原子力の廃絶を目指したが、原子力を進める組織はあまりに巨大で、私は敗北を続け、ついに福島事故が起きてしまった」
落とし前は「つけられなかった」と考えている。「福島事故を契機に原子力廃絶に向かうならばまだしも、福島のことがなかったかのように原発を進めてきた人は責任をとらず、この国は、原発の再稼働、新設、輸出へと動いている」からだ。

小出さんは原子炉実験所での41年間を助教のまま終える。だが、反原発を公然と掲げる小出さんに学内での「迫害」はなかったと断言する。それは「京大の独創性を重んじる学風に関係するかもしれない」とみる。
「(職務さえ果たせば)やりたいことができた。全国で闘う仲間たち、6人組の仲間にも恵まれた」と話を終えた。

退職後は、長野県に移住し、「年相応に身を引き仙人のように暮らしたい」と話した。講演は数を減らして引き受けるが、推進派との論争、原発立地地域からの依頼、若者の依頼を優先するという。

6人組のうち福島事故の汚染・被ばく調査をする今中哲二助教(64)が現役の殿(しんがり)だが、1年後に定年退職を迎える。小出さんは「今中さんの退職前に最後の安全ゼミを私が呼びかけます」と宣言した。

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村田貞雄