『科学者』という国家制度に組み込まれた特権的身分が出来たのは、19世紀半ば以降(4090)。これ以降の科学者は、ひたすら身分を保証してくれる国家に尽くし、事実をねじまげるようになる。その国家は、市場社会においては金貸しに支配されているので、結局は金貸しに都合のよい、理屈のみを発信するようになる。その結果が、患者を死に追いやることしかできない癌治療法や、危険極まりない原発開発だ。

それより科学者とは、どんな職業なのか?それは、自然を対象にしてその原理を追求する仕事だが、生み出すのは観念のみで、彼らは、先の理由により、それを発信して支配者に有利な共認形成を行うことしかできない。しかしながら、自然世界の追求はもっぱら本能⇒共認回路を基盤に行う必要があり、それは、職人=技術者のほうが優れている。よって、現代の科学者には、基本的に、観念的にも物質的にも有用な生産を行う力は無い。

ところで、どこから職人ではなく科学者(中世の宗教家・哲学者などの科学者の源流を含む)が、大きな発言権を有すようになったのか?職人と科学者の関係を考えるとき、錬金術と化学の関係は示唆的である。12世紀頃から隆盛した錬金術は、宗教的な様相も含みながら、物質を対象として分類・操作・再結合を行う職人集団に支えられてきた。
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その後、生産者である職人の成果を、当時の序列の上位にいた(宗教家や暇な金持ち)が、キリスト教の宗教観念により恣意的に統合を行い、キリスト教権威を後ろ盾に、化学として、その観念を流布したのが初期科学者の基本形である。彼らは、序列上位にいるため、職人を蔑視しており、観念的思弁こそが科学であるとして、職人の存在を否定してきた。

その方法は、天上は神の世界、自然のある地上は悪魔の世界として、自然に対する肯定感が全く無いまま、

>「自然は手つかずで残すよりも、人為的に(機械装置で)苦痛を与えた方が本来の性質がはっきりと現れる」「真実を追求するうちに、自然の見えない秘密が見えてくるのだ」「自然は自由を失い、奴隷となり、束縛を受けなければならない」「人間の知恵と力が一つになったとき、自然は切り裂かれ、機械と人間の手によって、それまでの姿をくずされ、押しつぶされ、型にはめこまれるだろう」(171830)

という宗教観念によるものである。

これは、自然対象を肯定する、生産者の職人の感覚とは180度異なるもので、その結果、自然も人間も破壊されていく研究ばかりがのこったのである。

これらからすると、人類の役に立つ科学は、共同体の中で、役割として、みんなのために追求すること無しには、進化しないことがわかる。


本田真吾