■製薬会社が手放せない「おいしい金儲け」
また言うまでもなく、新型ワクチン製造には金がかかる。製薬業界全体で、研究開発から治験、認可までにかかる期間は10〜15年、費用はおよそ10億ドル(約1,060億円)と見られている。さらに、新たな製造工場の建設費用は最高6億ドル(約630億円)と試算されている。

これに比べ、現在使われているワクチンなら、何十年も変わらない機械とプロセスで製造できる。世界保健機関(WHO)が13年に発表した分析によると、製薬各社が同じワクチンの再生産に要する費用は、毎年500万〜1,800万ドル(約5億〜19億円)に収まるとしている。

ここで考えてみてほしい。現在、米国だけでもざっと1億人が毎年インフルエンザワクチンの接種を受けている。これが一生のうちに1〜2回、あるいは4回程度の予防接種で済むようになれば、製薬会社は膨大な額の売上げを失うことになる。損失を補うには、新たなワクチンの1回の接種代をはるかに高額に設定しなければならないだろう。

「こんなおいしい金儲けがあるでしょうか。2,000万ドル(約21億円)の売り上げが出せるのに、いったい誰が違うワクチンをつくるのに10億ドル(約1,060億円)以上もかけるでしょう」と言うのは、ミネソタ大学感染症研究対策センター(CIDRAP)の創設者で、保健福祉省の元アドヴァイザーだったマイケル・オスターホルムだ。
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オスターホルムは何年も前から、インフルエンザワクチン市場の構造が改革を阻む原因になっていることに気づくべきだと訴えてきた。「考えてもみてください。薬が認可を受けて市場に出回るまで、数十億ドル(数千億円)もかかるとすれば、法外な値段をつけられない限り、投資に見合う見返りは得られないでしょう」と話す。

■新薬開発が次々に頓挫する理由
これは仮説ではない。その好例が経鼻生ワクチン「フルミスト」だ。オスターホルムらCIDRAPのグループが12年に発表した報告書「インフルエンザワクチン革新の急務(The Compelling Need for Game-Changing Influenza Vaccines)」によると、英アストラゼネカ傘下でワクチン製造を手がける米メディミューンは、この鼻腔に噴射する画期的なインフルエザワクチンを10億ドル(約1,060億円)以上かけて開発した。

09年に市場に出ると、フルミストは1億4,500万ドル(約154億円)の利益を上げた。だが16年と17年、CDCの諮問会議はこのスプレーの有効率が3パーセントに下がったとして、使用を控えるよう勧告した。

オスターホルムらはフルミストの例を挙げ、こうしたケースが続けば製薬会社は新たなインフルエンザワクチン開発に二の足を踏み、ヴェンチャー企業も投資を控えると警鐘を鳴らした。「ヴェンチャー企業や投資家、ワクチン製造会社などの民間セクターが新たなインフルエンザワクチンの開発に何年にもわたって投資する確証はどこにもない」と、報告書で指摘している。

医薬品業界では、同様の問題に苦しんでいる部門がほかにもある。00年ごろから製薬会社の大半が抗生物質の開発を断念しているのだ。理由は同じく、投資に見合った見返りがないことにある。ワクチン同様、抗生物質は価格が安く、使用期間が短い。テレビや雑誌でよく見かける、心血管系の薬品や抗がん剤のように儲かるものではないのだ。

■新薬開発の「マンハッタン計画」に不可欠なもの
こうした投資面でのギャップを埋める解決策のひとつとなったのが、世界最大規模の官民合同の研究支援組織「CARB-X」である。米政府と英国の医学研究支援などの公益信託団体ウェルカム・トラストが16年、4億5,500万ドル(約483億円)で設立した。新たな抗生物質を開発するにあたり、リスクの高い初期段階の研究を支援する。

費用対効果のバランスを改善するもうひとつのアイデアは、薬剤耐性(AMR)について書かれた英国の論文で触れられているが、まだ実現していない。認可が下りるまで新型抗生物質の開発を続ける企業には、研究開発費として無条件でおよそ10億ドル(約1,060億円)の「市場参入報奨金」を助成するものだ。

オスターホルムは、インフルエンザワクチンに必要なのは、研究支援や市場からの見返り、売上保証だけではないと考えている。研究や生産、さらに開発におけるリーダーシップを支える安定した投資も必要なのだ。

だからこそ、彼はマンハッタン計画になぞらえた。それだけの大規模プロジェクトを率いる力があるのは国家政府だけだというわけだ。同時に、これを実現できる資金力と柔軟性をもつのは、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ率いるビル&メリンダ・ゲイツ財団や、ウェルカム・トラスト規模の民間慈善団体しかないという。

その通りかもしれない。現在、インフルエンザワクチン市場が崩壊していることだけは明らかだ。いまこそ、このことを考える意味がある。今年は史上最悪のインフルエンザの流行から100年の節目にあたる年だからだ。全世界を揺るがした1918年のインフルエンザは、1年と少しのうちに推定1億人の死者を出した。

インフルエンザの大流行には規則性がない。「前回を超える、最悪の大流行」が、いつやってくるのかを予測できた人間はいまだにいない。その最悪のときが来る前に、ワクチン問題を解決しておくほうが得策ではないだろうか。
 


A.i