奈良県生駒市が、市庁舎で喫煙後45分間のエレベータ利用禁止というルールを設定したことがあちこちのマスコミで取り上げられ、話題性の効果を狙ったとの分析や、そこまでしなくてもという見方とが紹介されています。

 これについて昭和62年に「最後の喫煙者」という短編を書いた筒井康隆氏にインタビューした記事があり、氏は煙草があらゆる不満のスケープゴートになっているという。
私もこの種のニュースを見聞きするたびに、昔読んだこの小説を思い出しています。
筒井氏の話しに共感する人も多いと思われるので紹介させていただきます。
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以下引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

─先生は昭和六十二年、『小説新潮』で「最後の喫煙者」という短編を発表されています。これは、健康ファシズムがいきすぎた恐怖社会で、喫煙者が国家的弾圧を受け追いつめられていく様子を描いたストーリーですが、当時から嫌煙運動の兆しを感じておられたんでしょうか?

筒井 それはよくわかりましたね。やっぱりタバコを喫う人間だから、ちょっとしたイヤミや嫌悪感をひしひしと感じるわけです。
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しかし、「これはタバコとは別のことで怒っているんだな」という感じはありました。「タバコが嫌い」ということではなくて、ほかのことでイラついているんだな、と。それが今やもう証明されてしまいましたね。明らかにタバコが、あらゆる不満の“犠牲”になっている。「禁煙」という一点に人々のはけ口が集約されていますね。

いずれは『最後の喫煙者』(新潮文庫)と同じような状況になるでしょう(喫煙者差別が魔女狩りのレベルに達し、殺人・私刑・放火・脅迫がおこなわれる)。まだそこまではいっていないけれど、いずれそうなる。

中略

─いまの禁煙運動は本当にファシズム的です。

筒井 言論の自由をとってみても、ほんとは新聞なんかがその代表なんだけど、新聞がそもそも愛煙家の言は載せない。載せると大変なことになってしまう。これは戦争中の大本営発表だけを載せるという、それと同じことですよ。まあ私は新聞の読書欄にそれとなく書きましたがね(笑)。

嫌煙権論者の意見は載るけれども、われわれ喫煙者の意見が載らない。マスコミが嫌煙権運動に同調している以上、喫煙は「悪いこと」に決まっているのだから、どんなに差別的なことをしてもかまわないと思っている。これに対しては何を言っても無駄だし、もう、どうしようもない。

─タバコの問題は、今や「善悪論」にまでなっています。相撲賭博の問題をみても、政治家叩きをみても、同じ匂いを感じます。

筒井 別に相撲取りがバクチをしたってかまわないじゃないんですかね(笑)。昔から、バクチくらいはしていますよ。ヤクザの集団には、必ず相撲取りがひとりかふたりついていたもんです。

現代社会の基本原理は、「排除の原理」です。これが、禁煙ファシズムにも、相撲賭博問題にも、政治家叩きにも出ている。喫煙者や相撲取りをいじめ、政治家を罵倒して痛快さを味わっている。生きた人間をいたぶるのは、嗜虐的な快感があるし、皆がやっているんだから罪悪感を感じなくてすみます。「正義」と「善」を振りかざして、嬉々としている。

引用終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 煙草が健康被害とは無関係ということは、喫煙者数の減少と反比例して肺がん患者が増加しているという実態が証明しているにもかかわらず、嫌煙運動は過激化する一方です。
 現代の人々が過去に比べて日々の暮らしに余裕をなくしており、何らかのはけ口を求めていると感じるとともに、筒井氏のいうマスコミによる「排除の原理」がこの動きに拍車をかけているように思えます。
 




高橋克己