今は絶えて聞かなくなりましたが、かつて学校の教師をはじめとして、皆が自分らしさや個性の尊重といいたてた時代がありました。あの、自分らしさの追求、とはなんだったのか、について次のような分析がありましたので紹介いたします。

以下引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「自立せよ。自分らしく生きよ。妥協するな」といったタイプの「自己決定・自己責任・自分探し論」というものが80年代から官民あげて国策的に展開されました。
けれどもこのイデオロギーが階層下位に対して選択的に宣布されたということを忘れてはいけないと思います。階層下位の人に対して「連帯せよ」ということをアナウンスした人はほとんどいなかった。
それよりも「貧しくてもいい、無力でもいい、誰とも妥協しないで自分らしさを追求しなさい」とメディアや知識人たちはうるさく言い立てた。

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 ちょっと考えればわかるはずですけれど、弱い人間が連帯の技術を知らぬままに、誰の支援もなしに、「自分らしさ」なんか追求していたら、社会的に下降する以外に道はありません。「自分らしさイデオロギー」は、確かに表層的にはきれいな言葉で飾られていますけれど、実践的には、アドバンテージのない環境で生まれた子どもたち社会的上昇のチャンスを奪い、社会的下位に釘付けするものです。自立論者たちはこの「自分らしさイデオロギー」がもたらした歴史的結末について、もう少し慎重な自己点検をするべきだと僕は思います。

引用終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

当時は誰が何のために、などと考えたこともなかったのですが、この分析には納得しました。
周到に計画されたプロパガンダが、いまの貧困時代の布石であったように思えます。
出典は、「呪いの時代」内田樹著 です。




高橋克己