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何故、学者はデータの改竄・盗用をするのか?京都大学教授:林愛明の熊本地震に関する論文不正の状況から・・・

転載開始

京都大学教授の林愛明が熊本地震に関する論文不正で槍玉に上がっています。筆者は彼をよく知っている。彼は中国江南地方の出身で、日本では㈱建設技術研究所という国交省河川局系列コンサル会社にいたが、その後確か神戸大学理学部に移り、その後京大に移ったのだろう。

問題は熊本地震後に「地震で発生した断層が阿蘇山マグマで止まった」という主旨の論文を発表したところ、その論文にデータの改竄・盗用があったというもの。筆者もこの論文の主旨を新聞で見た記憶があるが、如何にもバカバカしいと思ってHPにもとりあげていない。それはともかく、この問題の背景には現代の科学の世界を裏で動かしている科学ジャーナリズムの問題があると思われる。
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まず90年代頃から流行ってきたのが、研究者の業績評価の客観化である。客観化の指標として用いられたのが、論文発表数と引用回数。つまりその論文がどれだけ引用されているかでその研究者の価値が定まるのである。なんとなくSNSの”いいね”で記事の価値がきまるというFBのやり方に似ている。これを引っ張ったのがサイエンスとかネイチャーという科学雑誌。この雑誌にどれだけ掲載されたかが研究者のステータスになってしまったのである。

間違ってならないのはこの2誌はれっきとした民間雑誌。公的なバックも権威もなにもない。おまけにその電子版はノンレフェリー、つまり掲載料さえ払えば誰のどんな論文でも掲載する。その結果怪しい論文が世間に出回ることになる。

林君の論文がそんないかがわしい主旨で作られたものとは思わないが、上で述べた客観化によるもう一つの弊害が研究者間の論文競争。何かある話題が出来ると、たちまちそれに関連した論文が出てくる。というより出さなければ取り残されるという強迫観念が研究者の中に生まれる。

熊本地震のような一大現象は地震屋にとって大イベント。これに載らなければ時代に取り残される。そういうわけで論文の作成などは助手や院生任せになってしまうのである。

それでは教授として無責任ではないか、と素人の一般ピープルは思うだろうが、今の大学教授は研究予算取りとか他の資料作りに追われて、論文の細かいチェックなど出来るわけがない。林君もこの狭間に陥ったのだろう。

要するに、最大の問題は今の文部科学省に、研究者に十分な研究環境を与える気も意欲もないことが根本である。マスコミは論文の盗用・ミスなどの枝葉末節の問題ではではなく、現在の科学研究の実情を取材報道すべきである。

以上転載終了



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