本来の「人類のための科学」とは何かを考えるきっかけになる記事があったので投稿します。以下、週間:事実報道 2019年10月10日 弟231号から引用です。

原発事故が示す 後始末しない科学

<フクシマの放射能汚染水を海に捨てる、捨てないという議論が最近活発になりつつある。その可否は別にして、「そもそも処理しきれないものをつくってきた」という認識は、科学者たちにはないのだろうか>

原子力発電所から発生する、高レベル放射性廃棄物は、ガラス固化され地下300メートルより深い岩盤の中に埋め込まれる。この使用済燃料棒は、数年間冷却された後、青森県の六ケ所村再処理施設か海外に送られる。 2019年3月末時点で貯蔵管理中に2485本が存在しており、これまでに使われた燃料を再処理すれば、約2万5000本もの本数になるという。10年の時点で1702本が存在していたことから、現存している分量のみでカウントしても、ここ10年ほどで1.5倍の本数にもなっている。(19年数値参考・原子力発電環境整備機構、10年数値参考・電気事業連合会資料)。
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 世界で約25万トンもの核廃棄物の処理が必要にもかかわらず、原子力発電所を稼働させると、毎年約1000トンもの廃棄物が追加で発生していく。
 
 フィンランドの廃棄施設「オオカロ」が20年から稼働する予定である。先進的と評されるこの施設であっても、その最大廃棄量は9000トンに過ぎない。しかも、今後、100年かけて建設されていきながら、廃棄物によって施設が満タンになると、そのふたが閉じられ、完全に密閉される。さらに、放射能が16分の1になる10万年後まで誰も掘り返さないように真剣に議論を重ねている。10万年前はネアンデルタール人の時代(内容については、ドキュメンタリー映画「100000年後の安全」でも触れられている。)

 気の遠くなるような、数量のスケールのズレだが、それが現在、世界中が置かれている状況でもある。それを見えなくさせる現在のマスコミ、政治のありようなどを超え、われわれ自身が使用する電力、また、発電をめぐる既存の利権にまつわる関連、放射能を無害化する仕組みなど、その解決策を皆で探る必要性は高い。
引用終わり

正に、今、TVを賑わせている関電の問題
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は、子供達の将来を考えると造ってはいけない施設を、利権を付帯させ、そして全てを腐敗させながら人類を滅亡に向かわせている。この問題を横において汚職という関電叩きにマスコミは向かっている。そもそも原発がなくても問題のない電力需要を鑑み、関電他の電力会社は一定の期間をおいて異なる道に向かう決断をしなくてはならない。
それこそ、ニコラステスラ―が考案したフリーエネルギー等に向かうべきではないか。

しかし、私権制度を否定するシステムは、皆のためになるにも関わらずほんの数握りの私権制度を構築した人々の存在で出来ない。このおかしさに潜在思念では人々は気付いている。このような事例は今後、枚挙にいとまもない位に噴出してくるだろう。

改めて「人々のための科学」とは何かを考えたい。




酒井俊弘