1/2の続きです。

引き続きリンクより転載します。
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■問題だらけの「権限ある人」

2つ目は、この「専門化されない人事」の結果ですが、権限が現場に下ろされていないということです。更にいえば、権限のある人にはスキルと知識がないわけです。そうすると、決めなくてはいけないことが現場で決められない、そのくせ決める権限のある人は自分がよくわからないので決められないということで、物凄い社内調整が必要になり、意思決定にダラダラ時間がかかるわけです。

その間に浪費される時間、文書、エネルギーはほとんど無駄です。

3つ目は、とにかく大勢が会議に出てくるということです。会議が多いのが悪いのではありません。一回の会議にゾロゾロ大勢出てくるので、結果的に一人当たりの会議参加時間が多すぎることになるのです。
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原因ですが、まず権限と知識・スキルが切り離されているということもありますが、「幹部候補には全社的な動きを知ってもらいたい」とか「新企画の立ち上げは、スタート段階から関連部門全員参加で会議しないと組織が動かない」というような非合理な風土があるからです。

よく評論家の人などで、企業と会議する場合に「発言しない人は無駄だからいて欲しくない」などとダダをこねる人がいますが、あれは間違いです。日本の場合、実務的な会議の中では、発言しない人に最先端の、そして現場の知識とノウハウがあるのです。そうではなくてほとんど素人だが、権限のある人がダラダラ思いつきで喋って、人の時間を奪っているのです。

有名な人が、コラボ企画などで企業と打ち合わせする場合もそうです。ベラベラ喋っている人は権限はあるがスキルのない人で、黙っている人が実は実行力もあれば、企画の細部を握っているのです。

つまりそうした場合の会議というのは、スキルや知識的には過去の存在である管理職に「著名人と合わせて満足させる」セレモニーであるわけです。ですから、生産性を上げるためには、有名人の側は、実は黙っている人とだけ会議をすれば良いのです。

4つ目は、文書を増やしている原因ですが、コンプライアンスという言葉に踊らされている面が大きいと思います。勿論、無法なことをやっていた企業が、お行儀よく法律を守ります、とか社会正義に徹します、あるいは働き方に留意しますというのは良いことです。
ですが、そうしたコンプライアンスの動きが、結局は「規程、規則を増やす」とか「記録を残す」といった形式主義になるとき、コンプラに注力すればするほど、法令違反や社会的には炎上を招きかねない誤った判断を生む可能性が大きいのです。つまり法令や社会の視線の核にある「本当の正義」というのを経営者がよくわかっていて、ピンポイントで的確な指示を出せないか、あるいは出さない、そんな中でコンプラが怖いから規則を作って文書を大量に作るということになるわけです。

これは90年代に始まったことで、日本経済の競争力が下降しているのと並行して起きたために、経済の底力を奪って行ったのです。

5つ目は国際化です。同時に90年代には、これまた遅まきながら日本の各企業は国際化をして行きました。これが業務量を増やしていったのです。コンピュータ化ができないというのも致命的ですが、英語で仕事が回らないというのも大変です。

つまり多国籍企業になっても、社内の公用語は日本語であるわけで、そうなると文書は常に2つの言語でダブルで走ることになります。また、日本語のよくできない海外のグループ企業が日本語化されることを前提で動くとか、英語に慣れない本社管理部門が多国籍のオペレーションを統括するという中で、業務量は倍増し、ストレスはたまるし、コミュニケーション上のロスや誤解も広がるということで、大変なことになっていると思います。
この国際化の進展による業務量の増大、にも関わらず経済の競争力が低くなっているので、要員は削減という中で二重言語による業務負荷が重くのしかかっているわけです。

■これでは「働き方改悪」でしかない

とにかく、コンピュータが使えないとか、文書が多いだけでなく、こんなに多くの要因が重なって、人の時間と労力を奪っているのですから、生産性が上がらないのも当然です。そうした問題を明らかにして、どうか生産性本部の皆さんは、本当に日本のオフィスにおける仕事の進め方にメスを入れていっていただきたいと思います。

そもそも働き方改革というのは、それが趣旨であったはずです。文書を削減し、会議の参加人数を減らし、権限を委譲し、コミュニケーションを効率化する、その結果として同じ業務量でも2倍、3倍の効率が生まれる、その結果として長時間労働が不要になる、これが働き方改革のはずです。

そうではなくて、働き方改革のために残業ができないので、管理職が実務を抱えるとか、その果てに働き方改革のために生産量や受注など、経済の規模も縮小するというのでは本末転倒です。

日本経済において、ホンモノの経営者はどこへ行ったのか、そんな絶望感すら感じられるのです。その絶望も、そして日々の「非効率な業務」も、本当は無駄な不幸なのだということ、とにかく日本よりも「ラテン系」の諸国が日本以上の生産性を上げている、その現実を直視して、現在の日本の職場に蔓延している不幸がいかに無駄でバカバカしいのかをしっかり認識していかねばなりません。
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転載終了




磯貝朋広