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■正解の価値が大きく減損した
1つ目の理由として挙げたいのが「正解の無価値化」です。現在、昭和から平成の初期にかけて大きな価値を持っていた「正解」の価値が大きく減損している一方で、逆に「問題」の価値が大きく高まっています。昭和の中期から後期にかけて、世の中には多くの「問題」が満ちあふれていた一方で、その問題に対して「正解」を出せる組織や人材は少なく、結果的に「正解を出せる人」の価値が大きく高まりました。

私たちは「正解を速く正確に出せる人」を「優秀な人材」と考える強い傾向がありますが、それは「問題が過剰で正解が希少な社会」において形成された一種のバイアスなのだということを忘れてはなりません。

市場原理は必ず「普遍的な問題」から順に解消していくことを求めるからです。問題をビジネスとして捉えた場合、「問題の深さ」は単価に、「問題の広さ」は顧客数として計量されます。市場規模が「単価と顧客数の積」になる以上、市場は「深くて広い問題」、つまり「普遍的な問題」に「正解」を提供していくことを求めます。

これを順繰りに繰り返していけば、やがて「普遍的な問題」の多くが片付いた状態となる一方で、市場に残っているのは「深いけど狭い問題」か「広いけど浅い問題」のどちらかになります。

このようにして「普遍的な問題」があらかた解消してしまうと「正解」を提供する能力が今度は過剰供給されることになります。経済学の基本原則に則れば「過剰なもの=正解」の価値はデフレし、「希少なもの=問題」の価値がインフレすることになります。

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(中略)

■「意味を作る」というビジネスには不適合
しかし、社会や顧客からあらかた「大きな問題」が片付いてしまうと、このアプローチは突然に機能不全を起こすようになってしまいます。端的に言えば、その問題を解決したとしても大してお金を払ってくれないような卑小な問題を見つけてきてはチマチマと解いて些少な対価を得る、という状況になってしまうわけです。

当然ながらこのような状況では企業業績は悪化してしまうので、価値の創出を「便利さ」から「豊かさ」へとシフトすることが求められるわけですが、ここで「豊かさ」は市場調査によって把握することもできないし、予定調和的にリターンの大きさを推計することもできない、という問題が立ち上がってくることになります。

つまり、これまでの経営管理・意思決定のあり方は「意味を作る」というビジネスには極めて不適合なのです。

では世の中において「意味的な価値」を最も強く、深く追求している人々は誰かと考えてみれば、それはアーティストだということになります。特に20世紀後半以降、アートの本質的な価値は「コンセプト=意味」になりつつあります。18世紀以前のアーティストが技巧的な価値あるいは主題的な価値をアートに込めようとしたのに対して、20世紀後半以降のアーティストたちは徹底的に「意味的な価値」を追求します。
今日の社会において、ますます「役に立つ=機能的価値」がデフレし、一方で「意味がある=情緒的価値」がインフレするのであれば、そのような価値創出の方法をアーティストの思考様式・行動様式から学ぶというのは極めて合理的なことでしょう。

最後に「アート的な思考がビジネスの世界にも求められる」3つ目の理由について考えてみましょう。それは「失敗のコスト」が極めて低くなっているからです。ビジネス的思考様式とアート的思考様式の違いはさまざまな側面に現れますが、最も明白な側面が「失敗のコスト」に関する考え方です。端的に言えば「ビジネスにおける失敗」は極めてコストが大きく、「アートにおける失敗」は非常にコストが小さいということです。

もっともこれは「かつて」という時制を加えて指摘するべきかもしれません。というのも、現在の社会では、ビジネスにおいても「失敗のコスト」がどんどん低下しているからです。例えばアマゾンは上場以来、およそ70の新規事業に進出し、そのうち3分の1は失敗して早期に撤退しています。なぜこんなことが可能になったかというと、事業リソースを内部化せず、適時・適宜に外部から調達することが可能になったからです。

大崎